ここ最近のVtuberはパブリックイメージに苦しめられている。知らない人に説明すると、パブリックイメージとはパブリック(public=公、社会等)なイメージのことで、大勢がその対象に抱くイメージのことを指す。この一言では説明不足な気もするからもうちょっと嚙み砕く。
日本人はあまり米を食べなくなったが、海外からすれば日本人の主食は米だろう。逆に日本人からすれば海外はパンが主食というイメージがあり、そのイメージ自体も海外と聞いただけでアメリカ辺りになっている。これも海外のイメージがアメリカに直結してしまっているせい。
主食の話はこの辺でいいとして、そろそろ本題に入ろう。
アクシア・クローネはなぜ活動を休止したのか
にじさんじに所属するアクシア・クローネは人気もあり、イベントの出演も控えていたけど突然活動を休止した。ここで邪推しがちな方は「何かやらかしたな」と考えるところだろう。しかし彼は問題がなく、問題があったのは彼のファン(またはファンだった者)の方だった。
活動休止を告げるツイートや事務所が発表した内容には、ざっくりと誹謗中傷、悪意に基づく虚偽の情報の流布等が原因と書かれており、何かしらが積もりに積もった結果としか読み取れない。しかし本人は納得できなかったのか、原因と思われる者への文句を動画にして公開した。
自分の好きな相手や推している相手が異性と仲良くしていたら気になるのは分かる。魅力的だからと誉めそやすことだってあるだろう。問題は限度だ。彼の場合は過剰な嫌がらせが他のVtuberに迷惑を掛け、彼自身には薄っぺらく感情を全く動かされない言葉ばかり投げかけられていた。
自分が配信を続けていようがいなかろうが、自分の存在があるだけで他人(それも同じ事務所の先輩ら)に迷惑が降りかかり、いざ配信をしても手応えはなく、返ってくるのは「かわいい」の4文字。そんな日々が楽しいはずもない。だから彼は文句を言って活動を休止してしまった。
イメージを共有することの重要さ
なぜ活動を休止するほどのダメージが蓄積してしまったのか。それは双方のイメージが食い違っていたからに過ぎない。彼はどちらかといえば、良くも悪くも感情の籠った反応を求めていた。しかしリスナーの大半は彼をペットか何かのように扱い、一方的な感想を押し付け続けた。
ペット或いは道化のような配信者を自ら演じているか、その反応を求めていればお互い幸せだったものの、配信者の求めるものとリスナーの求めるものには大きな差があった。それでいて残念なことに、リスナーはそういう扱いを彼は受け入れてくれると勘違いしていた。
否、一方的で偏執的な愛を騙った悍ましき感情を受け入れるべきだとさえ考えていた。
そのリスナー達にとっての配信者とは、褒められれば無条件に喜ぶ犬そのものだったのである。こちらからスパチャなんかの餌を与え、思考が停止したかのような(本人にとっては)誉め言葉を与えれば、それらが彼のモチベーションアップに繋がる――と思っていたのだろう。
よその配信者に迷惑を掛けるリスナーは論外だが、彼が言うところの化け物たちは大人しく配信を観て、配信者を喜ばせようと思っていた。どれだけ逆効果であろうと、悪気はなかったのだ。そこに悪意も罪もない。イメージを共有出来ていなかったことが問題なのである。
もしも彼がデビューしてすぐにリスナーの本質を見抜き、正しいイメージ(彼の配信スタイルにおける目的と要求)を伝えられていれば、イメージの齟齬を理解し、彼とは合わないと判断した者からその場を去っていただろう。そうすれば少なくとも彼は相手を気にせず好きに出来た。
イケメンは二枚目。高身長には身長が高くて格好いい。可愛い子には可愛い。相手の魅力がどこにあるか考え、褒める行為には何の問題もない。だが考えてみて欲しい。相手は顔を気に入っているだろうか。高身長の彼は高すぎる身長を気にしていないか。趣味や性別は意識しているか。
パブリックイメージとは、そのイメージを共有する人が増えれば増えるほどに正しい答えであるかのように受け入れられる。しかしどれだけそのイメージが根付いていようと、パブリックイメージは双方の解釈と認識が築き上げたイメージの押し付け合いに過ぎないのである。
引退までイメージを大切にし、パブリックイメージをドレスのように纏っていたタレントは引退後に神格化される。しかしどれだけ実績と人気を積み上げようと、ひとたびイメージが崩壊してしまうとファンは離れ、時には転じてアンチへと変貌する。
それだけパブリックイメージとは大切なものなのだ。
パブリックイメージは主観の押し付け合いである
パブリックイメージは誰かに紹介する際には大きな力を発揮する。強面の俳優がいて、ドラマでは悪人役ばかりしていたとしよう。常に出ずっぱりで主演にはなれないものの、視聴者の記憶には残り続ける。その俳優について話したいときは「いつも悪役ばっかの~」といえば済む。
それだけ便利なものではあるが、先述した通り厄介なものでもある。例えば先日、同じようにVtuber界隈でパブリックイメージが絡んだ反応があった。ホロライブのぺこみこ、兎田ぺこらとさくらみこのゲーム内における絡みへのコメントである。
誰だよ、と首を傾げる人に説明すると2人は元々頻繁にコラボをしていた。しかしある時期を境にコラボが激減。そのまま月日が経って、コラボが減った→何かあった→仲が悪くなった→だからお互い触れもしないという邪推の末にぺこみこは犬猿の仲だというイメージが出来上がってた。
そんな2人が同じゲームで遊び、勢力争いのようなものが起きた。結果はさくらみこが一方的に致命傷を負うような展開で、一通り終わった後にチャットで会話をしていた。それは何気ない会話だったのだが、なぜかリスナーの反応は二極化していた。
やっぱり仲が悪いんだと思う者が居れば、仲が良いからこそこんなやり取りができるんだなと思う者も居た。これもすべてはパブリックイメージの産んだ悲劇である。仲が悪いという決めつけから始まり、自分はこうだと思っているからと好き勝手に解釈し、イメージを足していく。
どれだけ相手を知ろうが、その考えまで理解することは出来ない。理解が出来ないから知ろうとして、見聞きした情報から相手のデータベースを埋めていくんだけども、それはどれだけ正確であっても個人的な主観や客観的なデータに基づいた非常に精巧な硝子細工でしかない。
箱を戻してにじさんじでは、家長むぎが小説を公開するとツイートしていた。
元々チャンネルやnoteを追っていれば、彼女が小説を書いて公開したいと考えたところで違和感はない。むしろもっと日頃から執筆していていいくらいだと思うだろう。それほど彼女はそこら辺のよく分からない作家志望よりは読ませる文章を書いている。
けれども彼女をあまり知らない方々は、このツイートを受けて違和感を覚えていた。「どうして小説?」「どういう方向に進みたいの?」という風に困惑し、捉えようによっては彼女がおかしくなってしまったとでも言わんばかりの反応を見せていたのだ。
それほどまでにパブリックイメージとは重要なのである。
Vtuberはロールプレイングキャラクターか配信者か
Vtuberは比較的歴史が浅く、未だにこれといった定義はない。強いて近いものを挙げるとすれば声優だろう。しかしそれも非なるもの。声優がアニメキャラに扮して何らかの企画に挑戦しているようなもの……もどこか違う。もしかしたらふなっしーが一番近いのかもしれない。
恐らく誰もがふなっしーという存在は知っているだろう。この妖精は千葉県船橋市を代表する得体の知れない非公認キャラであり、割と何でも好き勝手にやっていた。誰もが中身を気にしつつも、ふなっしーは素性を隠して謎のマスコットキャラに徹し続けていた。
ふなっしーがゲーム実況をしていれば、大抵は「あ、ふなっしーがゲームをしている」と考える。いきなり「ふなっしーがゲーム? つうかこいつ誰だ。中身が気になるな。調べてやる」と知的好奇心に支配されてしまうようなこともないだろう。
中身を詮索するのは人の勝手だが、詮索したくなるかどうかというのは配信者のスタイル次第ではないだろうか。配信者がふなっしーのようにロールプレイングキャラクターとして、2Dまたは3Dの体をうまく着こなして自分自身ではなくキャラとして成立させればいい。
どれだけ外見や声に力を入れたところで、中身の存在が見え隠れしてしまえばキャラクターとしては失敗だ。それでも誰かしらの外見で着飾ったまま配信者として活動することは出来る。ただし中身が透ける度に詮索される機会も増えていくだろう。
活動を休止してしまったアクシアは後者の配信者スタイルで活動していれば今とは違った結果になっていたかもしれない。そうすれば外見のイメージと逸脱した発言があったところでキャラクター性が薄いおかげでダメージも少ない。事務所の方針としては駄目だろうけども。
もしVtuberの中でふなっしーのような存在を挙げるとしたら誰だろう。そう思いながらいつものようにYouTubeを観ていると、以前にも紹介した銀河アリスの動画が公開されていた。その動画を観て、私は彼女こそがVtuber界のふなっしーだと思った。
動画のサムネイルで既に分かるとは思うが、なかなかにショッキングな内容だ。Vtuberが可愛い女の子の外見だと殆どは男性リスナーであり、これはもはやファンを減らしにかかっているとも思われかねない。しかし私にはそんな不安は一切無かった。いや本当に。
仮に彼氏が出来たところで祝福するのは間違いない。ただ祝福はしないだろうと分かっていた。それは彼女のパブリックイメージが固まっていたからだ。ポンコツ。天然。色恋沙汰とは無縁。動画を観る前から「どうせ幽霊か何かだろう」と妙な考えまで抱いていた。
動画を観たらすぐに分かるのだが、もちろん同棲は誇張した表現だった。同棲相手もある程度予測していた通り。「同棲相手がいなくてよかった」とは思わず、「これが銀河アリスだよな」と笑っていた。これも彼女のキャラクター性とプロ意識のおかげだろう。
自己紹介はもっとも重要なイメージの共有
Vtuberがどういう理由と目的でその活動を選んでいるかは分からない。しかしもし自己紹介なりで何らかのキャラクター付けを行うのであれば、その発言に責任を持つべきだろう。やる気がなければキャラ付けなどせず、自身が思った通りに振舞った方がいい。
私が思うにVtuberは自由だ。オッサンが幼女になっても許されるような世界で厳格なルールなんてものは存在しない。もし後々何らかの問題が発生したとすれば、それは積み重なったイメージがブレてしまった時だ。或いはうっかり素顔を晒してしまった時くらいだろう。
もしこれからVtuberとしての活動を考えている者がいれば、最初にやりたいこととやれることを明確にしておくことだ。カレーが大好きな戦隊ヒーローとしてデビューした後に「実はカレー食えない」と言われても困る。それならむしろ「イエローだけどカレーは苦手!」と言おう。
事務所に所属すると好き勝手は出来ないが、所属していることで最初から一定の登録者は見込める。個人だとスタートラインもゴールラインも自分で引けるが、うまく立ち回ってチャンスも掴まないといくら面白かろうが日の目を見ないまま消えてしまう。
自身を活かしてキャラクターに徹することも出来るVtuber。そんな人が増えてくれればリスナーとしては嬉しい。最後に、先月「Vtuberやってみようかな。自分を素直に出せる気楽なやつ。素で話して好きに遊べるやつ」と思いながら私がVRoidで作ったキャラをお披露目しようと思う。

やっぱさ、オッサンだって美少女になりてえのよ。
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